I.海とともに
お昼が近づき、陽が高くなるころ、紺色の海面から風が吹き始めます。潮風の匂い、波の音、小さなビーチサンダルの底からも伝わる砂浜の熱。幼い頃、毎年両親に連れて行ってもらった海の記憶は、何十年経った今も鮮明に甦ります。海の気配に包まれている時間が、たまらなく好きでした。
海への憧れが嵩じて、高校時代は受験勉強そっちのけでヨットに熱中。大学で上京してからは社会人の外洋レースチームに加えてもらい、世界選手権のタイトルを冠したレースに参戦するなど、ヨット三昧の日々を過ごしました。一時は本気でプロのレーサーを目指したこともありました。
II.病とともに
しかし、二十歳を少し超えたあたりから、急激に身体の不調を感じ始めます。ひどく疲れやすく、どうしても朝が起きられない。布団の中で四つん這いのまま、起き上がれるまで一時間――ただただ苦しい。
病院での診断は、「非A非B型肝炎」――今で言うC型肝炎でした。おそらく幼児の頃の予防接種が原因でしょう。身体は以前のようにきびきびとは動かなくなり、いつも鉛の塊を背負っているような感覚。苦しい日々が何十年も続きました。
やがて、海からは遠ざかり、就職は身体への負担が少なそうな仕事を選び、趣味は座ってできるものが中心となってしまいました。実家を継ぐため名古屋へ戻っても、寺院の仕事は当時住職であった父の補助が精一杯という毎日です。
そんな日々を過ごしていた時のこと。かつて、海外レースに参加させていただいた時にチームのスキッパー(操舵手)を務められた方が、オリンピックチームを率いる監督としてメディアに映っているお姿を拝見した時は、懐かしさと同時に、身体が動かない虚しさの中、「もう戻れない切り取られた時」を感じ、寂寞とした思いに包まれました。レースの世界では「鬼」と呼ばれたその方でしたが、当時ひよっこだった私をかわいがってくださり、からかいも交えて「君、いい選手になるよー、がはは」と声をかけてくださった日のことが、早朝の晴れた空とともに思い出されます。
京浜急行の始発電車の車窓。海へ向かう高揚した気持ち。
肝炎さえなければ……。いえ、人生に「たら」「れば」は言いますまい。
肝炎治療にインターフェロンも試みましたが、結果は髪が少し薄くなっただけ。肝臓は少しずつ硬変が始まっていると医師から告げられます。
親しくしてくれた、信州のキャンプ場の親父さんのことを思い出しました。親父さんは、事故の際の輸血でC型肝炎になった「肝炎友達」です。いえ、「戦友」と言った方がいいかもしれません。キャンプ場で私の車が動かなくなった時には自分のジープを貸してくれたり、娘さんの受験時にはひと夏うちでお預かりして予備校に通ってもらったり、家族同様に接してくれました。平成十七年― 享年五十二歳。親父さんは、肝硬変から肝臓がんへと進み、旅立ちました。
自分もやはり同じコースにいることが実感されます。こっそり遺影を準備し、事後のことを考えていると、気持ちの一部はまだ海に置いたままだったことが心残りでした。
せめて自分の遺骨の一部だけでも海へ帰してほしいと思いましたが、病気が進行して周囲がそれをはっきり理解するまでは、笑われそうで黙っていることとしました。もともと、肝炎は周囲からは元気そうに見えます。本人は深刻に身体が動かないのですが、あまり理解されません。「元気そうじゃん」という言葉には、ただ苦笑いと沈黙で返すしかありませんでした。反面、自分が旅立つであろう日へのカウントダウンは、心の奥深くにその実感と濃度を増していきます。
III.海へ、再び
しかし、人生、転機は何度もやってきます。画期的な新薬が開発され、短期間で肝炎ウイルスが消えると同時に、急激に体力も回復し始めます。カウントダウンの数字が一気に逆戻りしたような気がしました。
少しずつ、またトレーニングを始めて海へ戻ろう。
――そう決意してから5年。トレーニングを続ける傍ら、中古のヨットを手に入れ、一級小型船舶操縦士はじめ各種無線や特定操縦免許(小型旅客船の船長資格)まで一気に取得。せっかくいただいた残りの時間です。海難で亡くなった方や、海で戦死した方々の慰霊を目標に海へ出よう。今、生かされていることへの感謝を持って、もう一度海へ戻ろう。――静かに、目標が固まりました。
――そしてさらに5年。二十歳の頃のようにとはいきませんが、十分に体力は回復してきました。身体の不調に喘いでいた頃の自分の思い――遺骨の一部だけでも海へ送り出してほしい。もしも、同じ思いの方がいらっしゃるのならば、今度はそのお手伝いをしたいと思います。
何の因縁か、自分は寺の住職でもあります。そして、「海へ」という思いは、身体に染みて理解できます。
今回、思い切って株式会社トラベルコンシェルジュの後藤社長に散骨供養のことを相談させていただきました。海好きで小型船舶の免許もお持ちの社長ですが、さらにそれをこじらせて自社でクルーズ事業も展開されています。私の思いと意図をすぐに理解してくださり、この供養にも協力していただけることとなり、感謝にたえません。
長年しまい込んでいた、少々暑苦しく湿度が高めの胸の内をここに申し述べるのは気恥ずかしいのですが、ご挨拶に代えて「海へ」の思いを書かせていただきました。
私もいつの日か、海へ。次の旅路へと向かいます。
令和八年六月
時宗 亀井山 圓福寺 四十七世住職
玄阿暢厚(足利 暢厚)